頚髄症(頚椎症性脊髄症・頚椎脊柱管狭窄症)・人工関節
2015年02月08日 16:47
このブログが常々放置プレイになるのは、執筆業が忙しいからである(毎度の言い訳です、すいません)。そしてこれを書いているのは、めずらしく執筆が一段落しているから。といっても、明日からまた忙しいが、とりあえず久々の仕事ブログ更新。
今、私の仕事は、連載原稿毎月6本のほかに、中編・長編などの執筆や編集依頼が随時入る状態。数年前までは、執筆業だけでご飯が食べられればどんなにいいか…と、あわい夢を描いていたのだが、気が付けば今や、私の本業は名実ともに「執筆家」となった。これって「私は夢を叶えた」ということなだろう。幸せな人生だと思う。
しかし夢が現実となると、それは夢ではなくてただの日常となる。日常となってよくわかったのは、執筆業とは、案外地味な仕事だということ。
駆け回って営業していた時の方が、今より収入が上でしたよ(^^;
ま、現実とはそんなもんなのだ。
でも書くことが好きな私にとっては、執筆業で、細々とでもご飯が食べられるならそれでハッピー。
そんなわけで、夢を描いた数年前よりも、事業は縮小と相成ったけれど、心は満たされているので多分これが私の成功形なのであろう。
そして、過去の自分を客観的に思い出すと、ちょっと笑えるものがある。
昔のあたしは、どうしてあんなに毎日猛烈な激務を何とも思わずやっていたのか。常に全力疾走で余裕なく必死に生きていた昔の自分を(いやー若かった、若干恥ずかしい)と感じる今日この頃。
でも、その過去は一種の修行時期で、その結果として、今のように好きな執筆仕事に存分に集中できているってことかもしれない。それに、過去の努力の継続があって今がある、ということもあるだろう。何しろ、お仕事を依頼して下さる人がいなければ仕事は成り立たない。
今のように、やりたい仕事を自由にできる自分になった経緯は、5年前の頚椎疾患の経験が大きい。あれ以来、私はやや体が不自由な人となって、それまで当たり前に出来ていたことが出来ないという立場になった。そのおかげ?なのか、自分が本当にやりたいことは何か、ということが大変よく見えるようになった次第。
すると、多くを望まず、本当に欲しいものや、やりたいことだけを望むようになる。だから今を満足できるのだろう。
もしも自分が望むことが、世界中を旅したり、あるいはアスリートとしての成功だったり、または大好きな趣味が登山やゴルフやアウトドア系だったとしたら、私の人生は夢破れたり、ということになるところだった。
しかし、執筆業しつつボチボチとベランダ菜園したり、DVD見たり、プチ料理したりするのが楽しいと思える、そんな自分で、まー本当によかったね。そんなインドア派のあたし。
さて、録画した映画でもみよっかな。
来週からまた原稿の締め切りや打合せに追われる日が始まるが、今日はつかの間の休息日。
2013年01月16日 07:00
2013年が明け既に2週以上過ぎているが・・・遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします。(≡ω≡.)
本業は保険に関する執筆家の私だが、このブログに訪れる人の中には、頚椎脊柱管狭窄症など脊髄疾患に関連するキーワードでたどり着く人も多いと思う。キーワードを他にも書いておくと、頚髄症、頚椎症、頚椎症性脊髄症、など。
というわけで今回は脊髄関連内容。
3年程前に私は頚椎脊柱管狭窄症で手術を受けた。
片足が痺れるという自覚症状を初めて感じてから超スピードで症状が進行して4か月後には手術となった。手術直前の時期には首から下の体全体に強い麻痺が広がり、歩くことは殆ど不可能、手の痺れも強まってものを持つことが難しくなり、更に呂律が回らない症状や、呼吸も普通にはし難いような実感など、あと一か月手術が遅かったら結構ヤバかったのかも?と、ちょっと思う。
手術後は、片足に若干の麻痺や足腰の断続的な痛みなど多少はあるものの、日常生活が可能となり、自宅で執筆業という仕事スタイルが幸いして仕事面での社会復帰も果たした。
Facebookやtwitterで時々「今日は足腰痛がヤバイかんじw只今、上空に気圧の谷が通過中にちがいなーい」などとボヤくことも多いが、気持ちを表現する場があることもプラス効果となるのか、心のバランスをうまく取りながら前向きに楽しく生きる日常を取り戻した。
朝は早めに目が覚め、まずはベランダの菜園趣味を楽しむ。プランターを台の上に置けば屈まなくても野菜の手入れが出来るので足腰が悪くても趣味も謳歌できる。家事も工夫しながらこなしている。長時間立ち続けられないことで出来なくなった料理などもあるが、反対に時短レシピのレパートリーが増えた。掃除や片づけも工夫しながら休み休みやるコツを身に付けた。仕事もパソコンの前に座っての作業なので殆ど問題なくこなせる。以前のようにぶっ続けの徹夜で原稿を書くことはできないが、計画的にコツコツとこなすスタイルが今では板についた。
だから、家事も趣味も仕事も含め、家の中でやることは殆ど健常者と変わらないし全く不自由さを感じない。むしろ、これまで当たり前としか感じていなかった事の一つ一つに、自分にもできるという喜びや創意工夫の満足感がある。健常な頃よりも充実した毎日ではないかとさえ思う。
ただ、外を出歩く時は杖持参で歩くスピードも遅いし、一度に歩ける距離も限られる。とくに誰かと一緒に歩く時、私のゆっくりな歩みに相手が合わせなくてはならず迷惑がかかる。そういう、回りにかける迷惑や負担にはうしろめたさもあるし、そんな時は自分が体が不自由な身であることを痛感する瞬間もないわけではない。
でも、それもこれも含めて、私にとっては既にそれが「日常」となっている。
人の慣れるという力はスゴイもので、つい3年前まで毎日飛び回るように仕事していたことが遥か遠い日のことのように思える。今は、今の状態が私にとって普通だという感覚なのだから。
失ったものも確かにある。ハイヒールやスカートは、半年前に意を決して全部捨てた。その時はちょっとだけ過去の日々を振り返ったりもした。
でも私はそれ以外何も失っていない。むしろ得たものの方が大きいかもしれない。
もしも同様の病で不安を感じている人がいるなら、たとえ体が不自由でも、創意工夫で出来ることが見つかれば、それが今まで味わったことがないような大きな喜びや満足をもたらすことをお伝えしたい。
それに、どこに行っても皆に親切にされまくるというステキな特権は、健常者では味わえない幸せかも。(プチ王様気分で〜す♪)
そうやって人はどんな状況下でも、今の現実を正面から受け入れた瞬間から新たな人生が開けるものなのだ。それを知ったのも多分病気のおかげなのだろう。私は今、最高に幸せだと断言できる毎日を生きている。
2011年01月06日 10:25
今年も恒例の御節作りをした。

娘達も22歳と19歳と大きくなったこともあり年末年始に家族揃う時間も減りつつあるが、本来、年末年始は家族過ごす行事である!と私は強く思う次第。
なので年越しそばやオセチをバッチリ作り、奔放な娘共にプレッシャーを与える母しております。
例年に比べると品目は少ない。何しろ持病の頚椎のビョーキで足腰痛があるので長時間ぶっ続けで料理できないので、作っては休み、休んでは作ってのスローペース。でもまぁそれなりに出来たのでヨシとしよう、うん。
今まで当たり前に出来たことが出来なくなるというのはそれなりにストレスもあるのだが、しかし人間には「慣れる」というスバラシー能力があり、今や、足腰痛いのは私にとっては普通の日常的な環境となっている。慣れてしまうと工夫すればやれることは沢山あるのであーる。
んなわけで、料理もオセチ作りも、時間さえあればナンとかなるのであった。
今年は、この慣れの能力を更に発揮して自分の出来ることの幅を広げていこうと思っている。
自分の病気と不景気の影響下で、収入が減少しそれなりに生活が苦しくはなったけれど、しかしその分、時間は増えた。過去の、嵐のように過ぎていく日常とは全く違い、日々当たり前の日常を過ごせることに生きる実感を持てることに幸福や満足を感じている。
人の幸福感というものは、お金でも健康でもなく、多分「私は今、生きているのだ」とハッキリ実感できる時間をどれだけ長く過ごせるかにあるのでは、ということを思う次第。
ところで、年明け早々ちょっとイイことがあった。
自宅内でふと立ち上がった瞬間に、グキっという強い痛みが左足股関節の外側に起こり思わずうずくまったのだが、ナゼがその後から、今まで日常的に同場所にあった強い痛みが軽減された。今までは常に強い痛みがあったが、今は動かす時に痛む、という具合になったのである。
コレってすごい違いなんですが。何が起こったか知らんけど?
脊髄神経の圧迫が減って改善されたのか?はたまた麻痺が進んで痛みを感じなくなっただけなのか、真相は知らないが、とりあえずヨカッタにゃ〜ん。やっほーい
てなわけで今年もイイコトあるに違いない。がんばろう!
追伸
毎月連載原稿なども抱えている故に、めっきりこのブログもおろそかになっているが、趣味のブログの方は気楽?なこともあり、適度に庚更新しているのでこっちもどうぞ。
2010年11月01日 03:22
でもそれは、ちょっと前の自分がダメだったということを自覚したり自己分析が出来ているということでもあり、悪い意味だけではない面もある。
以前はそのようなことを思う時間すら無かったからである。
こういう感覚を味わうようになったのは、頚椎脊柱管狭窄症が発症してから。
手術を受けて11ヵ月ほど過ぎているが、さすがに頚椎という人体の重要部分の大手術を受けたこともあって簡単に元通りの体にはなれないので、発病前と同じようなペースでは仕事が出来ない状況が続いている。
しかしまぁ、それ以前の自分の仕事ぶりが無謀するほどの激務だったので、今の方が、普通の人並みのペースで仕事をしているんじゃないのかネ、と思えるふしもある。だいたい、今思えば以前は何故あんなに忙しく生きていたのか。あれじゃ体も壊すよネーと自分でも思う次第。
という具合に、過去の自分を振り返り冷静に客観視するようになったのは、病気の影響で仕事のペースを落とす必然性が生じて業務効率を本格的に進めたことによる。つまり、考えるヒマ(時間)が出来たのである。
すると、過去の自分が、常にその場の直感で物事を判断していたことをあらためて実感することになった。しかも、たいした根拠も無く素早い決断をしてきたことに我ながら感心したり呆れたり。そういう直感系の感覚が鋭い人間だったのだということも再確認した。
そんで、私は今、その時に比べると自分に自信が無くなったので、即断即決が出来ないことになっているが、でもその方がイイような気もする。
少しは自分の判断を疑ったり再考すべきだろ?と思うので・・・
ジツを言うと、ホントは以前よりも増して根拠無く結論が頭にひらめくような感覚があり、それがなんだか妙な気がして、それで自分を疑うような心境になった。(もういっぺん良く考えようよ、アタシ)と自分に問う日々。
でもジツは、そうやってひらめいたことが以前よりも的確だったりしてサー。そんなモンだよね?多分。。。はははのは
2009年11月09日 20:56
情報を見る限り案外立派な手術。何しろ全身麻酔だし。でも本人は寝てるからあっという間に終ることになるだろうけど。
この病気は、頚椎(クビ)の脊髄神経の通り道が圧迫されて起こっているので、 その圧迫を取って、脊髄神経の通り道の空洞を広げるという手術内容です。ちなみに頚椎椎弓除圧術っていう言い方もするらしい。圧を取るから除圧術。
手術の内容を具体的に書くとネ・・・フフフ
(以下、グロい表現が続く。食事中の人はご注意を)
まずクビの後ろを切り込み(ドヒー)
背骨の後ろ側の骨を削って、というか割ってグワーっと広げ
(ウゲゲー)
圧迫されてる脊髄神経の、その圧迫をとるわけです。
(バキバキ〜)
んで、グワ〜っと広げた間に、人工骨を入れ、骨にアナをあけて(グイイイ〜ン)
人工骨と骨を縛り付けて固定する〜という、とってもグロい手術ヨ。うふふのふ♪
ちなみに、頚椎4〜5個に同じことをするそうナ。ヤッホーイ
わたくしメは手術中はグッスリ寝てるからワケワカメだけど。
(グオー、スピー)
術後4〜5日はクダに繋がれっぱなしで痛みや熱にうなされるコトになるであろう。(いでででので〜)
ま〜、一応切るわけだから、しょうがないでしょうナ。
ホホホのホ
ところで、この手術の写真や映像はネット上に多数ありますが、 血を見るのが怖いアナタは調べてはいけませんゼ。
グヘヘヘ。
グロくないけどリアルなCG画像はコチラ↓
http://www.sekitsui.com/4syujyutu2/index1-2.html
そのようなグロい手術を目前にしてもアタシがヘラヘラできる理由は、元々痛みに強い、血が怖くない、重症の長期つわり&難産出産経験2回というツワモノということもありますが
現状で言うと、あたしはもう殆ど歩けない子ちゃん♪♪
正確には、痛いけど10mぐらいなら杖があれば歩けるので、家の中で杖をつくということになっている。(^^; なので外に出るのはタイヘンでごじゃります。そして足・手・腰・背中〜と、顔以外の全部がイタイイタイの痛いでしゅーという状況。こうなると、手術でもナンでもとっととやって回復を期待できる方がマシなのだす。
回復率の高い手術らしいので、自分も心配してないので皆さんもご心配なく〜。
・・・と、グロいことを書いておいて、無責任に言う。
ウケケ (・∀・)つ