母子家庭
2009年04月01日
私らしく生きる罪
しかし、自分らしく生きる自由を選ぶからには、背負った責任は必ず果たさなければならないことや、ありのままに自由に生きるということは、回りからどのように思われようとも自分を貫く強さがなければならない、ということも自覚していた。それが出来なければ、自由ではなく、単なる我侭勝手になってしまうからである。それはイヤだと思った。
以来、私はありのままの自分らしく自由に生きる、そのために、何故か血の滲む努力をする、というような状況になった。
自分らしく回りにとらわれず自由に生きるということは、つまり降りかかるすべての困難を自力で乗り切ることも同時に意味する。また自由に生きるには、それ以上の「責任」を果たさなければならない。更に、他人や社会に振り回されず、自由に自分らしく生きるということは、時に孤独と向き合わなければならない。泣く時はいつでもひとり、それが自由の代償でもあった。
という具合に、自由に生きるということは、思いのほか不自由なのである。
しかしそんな重責や孤独を背負ってもなお、自分が自分らしく生きることの幸福の方が、私にとっては勝っていた。自由のためなら、どのような苦難も乗り越えようと思えた。
おかげで色々なことを学び、自由に生きるための知恵や、貫いて生き抜く強さのようなものが身についた、と思う。
そして早15年。
気がついたら、私は非常に強い人間になっていた。
強くなると余計に自由に生き易くなり、自由の実感度合いは年々増し続け、もしかして今が自由満喫度合いMAXの状態にあるかもしれない、とも思う。
そして、ここまで自由に生きてきた人生に一片の悔いも無いし、満足している。
・・・しかし、最近ちょっと思う。
自分はこれほど自由に自分らしく生きているけれど、果たして世の中の人達はどうなのか。
多くの人が、納得のいかないことでも、それが世の中や組織や会社の常ならば、やむを得ず自分を曲げて生きている(ように見える)ではないか。
そういう、自分を曲げて世の中や組織や会社を存続し守ることに力を注ぐ人達がいて初めて、それらが成り立ち、経済さえも回っている、それが現実ではないだろうか。
もしもすべての人が今の自分のように、自分を貫いて自分らしく生きるなら、社会も組織も成り立たず、おまけに経済が停滞するんじゃないの?
その中で、好きなように自分の道を生きる私って、どうよ?
うーむ。
これからは、大手を振って自由に生きるのではなく、ソッと密かに自由に生きることにしよう・・・。
って、結局反省ナシか(^^;オイ
だって、もう戻れないんだもん。いやホントにすいません。
2007年04月15日
「お母さんはウザい」と言われ
最近、次女と私は些細な口喧嘩を良くする。
そして「この頃のお母さんは、マジうざいよ!」と次女は文句を言う。
「何を言うかこの未熟者め、アンタの方こそウザい」とすかさず言い返す私。
という具合に、くだらない言い合いをして、次女はプンプンしているわけだが、最近の自分が小言が多いのは自分でも認識している。
まぁ、当然と言えば当然。
なにしろ今までは受験があったので、娘の態度にムカつくことがあっても、受験に集中できるようにとガマンをしていたのだ。しかし、やっと受験が終わったので、こっちもガマンする必要が無くなり、だから言いたいことを言っているだけである。
ということを先日次女に説明したら、それなりに納得した模様。
そうやって思春期の娘は、母が神様でも天使でもなく、単なる人間であることを学んで大人になっていく。
これでイイのだ。
2007年03月09日
弱者を追い詰める国・日本
■「母子加算」段階的廃止の代償、月1万円の就労促進費(読売新聞 - 03月05日 20:11)
http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07030606.cfm
生活保護を受けている母子家庭に付与されている母子加算という手当てを廃止するんだってさ。
アベシンゾー氏は、生活保護手当てや母子家庭の児童扶養手当の「不正受給者」を取り締まるとかいうことに、以前からこだわりを持っている、ということを聞いていたので、彼が総理大臣になった時に不安を感じていたが、案の定、という感想。
こういう手当てを受けている人の殆どが、働きたくても働けないほどに心身共にボロボロになり、生きることもやっとで、生活もままならない大変な思いをしている人たちばかりである。そういうギリギリの生活をしている人の手当てを減らすことが、どういう意味を成すかわっているのだろうか。惨めさを耐え忍び必死に生きている人にとって、頼みの綱の手当てを削ると言われたら、「死ね」と言われているのと同じことだ。
困っている人に、労わりやエールを送るのが人間として当たり前の感情のはずなのに、国が弱者を追い詰めるとは。それで公平だなんて笑わせるんじゃない、と思う。
行政がやるべきことは、誰もが人間らしく生きられる社会を作ることであるはずだ。
というわけで(どういうわけ?)来週、参議院議員会館での会議に出席することになったので、ちょっと行ってきマス。
2006年04月20日
養育費の日のイベント
4/19は、よーいく と読む。ということで養育費の日なのであーる。
毎年この時期に、NPO法人Wink(理事 新川てるえ)が主催する養育費の日のイベントが開催される。で、一応私はWinkの監事だったりする(^^;
そんなわけで毎年イベント当日には、私もスタッフとしてお手伝いをしつつ参加している。
今年は4回目の開催で、基調講演及びパネラーとして、衆議院議員の野田聖子氏が参加をしてくれた。直接お目にかかったのは初めてだけれど、テレビで見るよりもずっと美しく聡明で、また元気とパワーが溢れている人だった。
カッコイイ!
サインも貰ったし握手もしたし写真も撮ってしまった私はミーハー?
パネルディスカッションでは、会場の参加者も発言し参加する場面があった。その中で、2年前の第2回目イベントの時に発表者として壇上に立ち養育費の未払い問題の実体験と問題提起をしてくれた方が、その数日後に小学生のお子さんが交通事故で亡くなって、これまで裁判等を続けてきた経緯などを会場から報告してくれた。彼女の辛い気持ちに誰もが思わず涙を堪えたと思う。
その中で「逆相続」の問題が取り上げられた。お子さんが無くなって受け取る自賠責保険など賠償金は、両親双方が半分ずつ受け取る権利がある。離婚して養育費を払わずに行方をくらました彼女の元夫にも半分相続権があるのだ。
私は保険ジャーナリストという立場からこの問題について、彼女に続いて会場から発言をした。
自賠責保険とは、被害者救済のために国が法律で定めた制度でありすべてのドライバーの加入が義務付けられている。養育費を払わない親に、その子どもが亡くなって国の制度の保険金が入るということは誰が聞いてもおかしいしと感じるし、国が法で定めた制度である以上、支払い基準に関して法律で一定基準を設けても良いのではないか、と言うようなことを述べた。
野田氏はすかさずメモを取っていた。
本当は、子どもが無くなってお金がほしい親などいない。
けれど保険という制度は、お金と命は引きかえに出来ないけれど、残された遺族が少しでも救われますようにという願いのもとであるべきものだ。その法の整備は、当事者ではなく、専門分野の人間や法律を作る行政側が考えていかなければいけない問題だと思っている。
さて、基調講演とパネルディスカッションのあとは毎回恒例で、シンガーソングライターの「こんのひとみさん」のライヴとなった。こんのさんは親子関係や家庭問題などを題材にした歌を数多く歌っていて、その美しい歌声と切ない歌詞の内容に、子どもを持つ人ならばだれしも涙するような、そんな歌を数多く歌っている。
また、こんのさんが毎回やってくれることとして、参加者からメッセージを募集し、その場で何人かのものを即興で歌にするというのがある。そして、スタッフもメッセージを書いてと言われて合間にササっと書いた自分のメッセージを、こんのさんがステージ上で歌ってくれた。美しい歌声とメロディーにのったその歌は、ササっと書いたとは思えないような感動的なものになっていて、思わず密かに号泣してしまった。
内容はだいたいこんなかんじ
養育費、毎月毎月払ってくれてありがとう。
初めは当たり前と思っていたけれど、遅れるたびに頭にきたりしたけれど、
でもあれから13年。
毎月払うたびきっと子どもを思っていてくれる、今ではその気持ちに心から感謝しています。
本当に本当にありがとう。
そして、あと残り数年、頑張ってね、パパ!
私も一生懸命子どもを育てていきます。
NPO法人Winkでは、両親が別れても子どもたちが両方の親に愛されながら育つような社会を築いていきたい、ということを提唱している。
日本は先進国の中でもダントツに養育費の支払い比率が低く全体の2割にも満たない。同時に、離婚に伴い子どもに会わせて貰えなくなった側の親達もいる。親が子どもへの責任を果たさないような社会、会いたいのに会えない親子が数多くいるような社会、それが日本の現状だ。
何より、その犠牲になっているのは子どもたちだということを皆にも知ってほしい。
養育費を支払うことが社会の中で当たり前の認識となり、その子どもたちはいつでも両方の親に会いにいけて、そして両方の親が責任と愛情を子どもたちにそそぎながら育てていけるような、そんな社会になってほしいと願う。
最後にWink代表の新川てるえが以下のようなコメントをしたのが印象的だった。
「私は法律を変えたいわけではありません。変えたいのは人の心です。」
どんな法律や制度が出来たとしても、人の心が伴わなければ本当の意味で変わることは出来ないということを、私もあらためて思った。
養育費の日のイベント
4/19は、よーいく と読む。ということで養育費の日なのであーる。
毎年この時期に、NPO法人Wink(理事 新川てるえ)が主催する養育費の日のイベントが開催される。で、一応私はWinkの監事だったりする(^^;
そんなわけで毎年イベント当日には、私もスタッフとしてお手伝いをしつつ参加している。
今年は4回目の開催で、基調講演及びパネラーとして、衆議院議員の野田聖子氏が参加をしてくれた。直接お目にかかったのは初めてだけれど、テレビで見るよりもずっと美しく聡明で、また元気とパワーが溢れている人だった。
カッコイイ!
サインも貰ったし握手もしたし写真も撮ってしまった私はミーハー?
パネルディスカッションでは、会場の参加者も発言し参加する場面があった。その中で、2年前の第2回目イベントの時に発表者として壇上に立ち養育費の未払い問題の実体験と問題提起をしてくれた方が、その数日後に小学生のお子さんが交通事故で亡くなって、これまで裁判等を続けてきた経緯などを会場から報告してくれた。彼女の辛い気持ちに誰もが思わず涙を堪えたと思う。
その中で「逆相続」の問題が取り上げられた。お子さんが無くなって受け取る自賠責保険など賠償金は、両親双方が半分ずつ受け取る権利がある。離婚して養育費を払わずに行方をくらました彼女の元夫にも半分相続権があるのだ。
私は保険ジャーナリストという立場からこの問題について、彼女に続いて会場から発言をした。
自賠責保険とは、被害者救済のために国が法律で定めた制度でありすべてのドライバーの加入が義務付けられている。養育費を払わない親に、その子どもが亡くなって国の制度の保険金が入るということは誰が聞いてもおかしいしと感じるし、国が法で定めた制度である以上、支払い基準に関して法律で一定基準を設けても良いのではないか、と言うようなことを述べた。
野田氏はすかさずメモを取っていた。
本当は、子どもが無くなってお金がほしい親などいない。
けれど保険という制度は、お金と命は引きかえに出来ないけれど、残された遺族が少しでも救われますようにという願いのもとであるべきものだ。その法の整備は、当事者ではなく、専門分野の人間や法律を作る行政側が考えていかなければいけない問題だと思っている。
さて、基調講演とパネルディスカッションのあとは毎回恒例で、シンガーソングライターの「こんのひとみさん」のライヴとなった。こんのさんは親子関係や家庭問題などを題材にした歌を数多く歌っていて、その美しい歌声と切ない歌詞の内容に、子どもを持つ人ならばだれしも涙するような、そんな歌を数多く歌っている。
また、こんのさんが毎回やってくれることとして、参加者からメッセージを募集し、その場で何人かのものを即興で歌にするというのがある。そして、スタッフもメッセージを書いてと言われて合間にササっと書いた自分のメッセージを、こんのさんがステージ上で歌ってくれた。美しい歌声とメロディーにのったその歌は、ササっと書いたとは思えないような感動的なものになっていて、思わず密かに号泣してしまった。
内容はだいたいこんなかんじ
養育費、毎月毎月払ってくれてありがとう。
初めは当たり前と思っていたけれど、遅れるたびに頭にきたりしたけれど、
でもあれから13年。
毎月払うたびきっと子どもを思っていてくれる、今ではその気持ちに心から感謝しています。
本当に本当にありがとう。
そして、あと残り数年、頑張ってね、パパ!
私も一生懸命子どもを育てていきます。
NPO法人Winkでは、両親が別れても子どもたちが両方の親に愛されながら育つような社会を築いていきたい、ということを提唱している。
日本は先進国の中でもダントツに養育費の支払い比率が低く全体の2割にも満たない。同時に、離婚に伴い子どもに会わせて貰えなくなった側の親達もいる。親が子どもへの責任を果たさないような社会、会いたいのに会えない親子が数多くいるような社会、それが日本の現状だ。
何より、その犠牲になっているのは子どもたちだということを皆にも知ってほしい。
養育費を支払うことが社会の中で当たり前の認識となり、その子どもたちはいつでも両方の親に会いにいけて、そして両方の親が責任と愛情を子どもたちにそそぎながら育てていけるような、そんな社会になってほしいと願う。
最後にWink代表の新川てるえが以下のようなコメントをしたのが印象的だった。
「私は法律を変えたいわけではありません。変えたいのは人の心です。」
どんな法律や制度が出来たとしても、人の心が伴わなければ本当の意味で変わることは出来ないということを、私もあらためて思った。
2005年09月05日
母子家庭への支援
某公的な書面に「母子家庭の相談員」として、私の電話番号が載っている。自分の経験を活かして少しでも社会貢献が出来れば、という理由で引き受けていることだが、そういうわけでそれを見た人から時々電話相談がある。
電話というのは時間を選ばすいきなりかかってくるし、相手も悩んでいて心に余裕が無いせいか、こちらの状況におかまい無く一方的に話す人、というのが非常に多い。
そして、今まで受けた相談のすべてが仕事の悩みで、職場からの解雇や就労条件の悪さへ等の、苦情・愚痴・不満をまくし立て、気が済むと一方的に電話を切るという具合で、まるで全員が同じ人物でかと思うほどに毎回同じパターンである。
というわけで、私も毎回似たようなアドバイスをすることになるのだが、その内容は、「今は誰もが就職難な時代ですから、母子家庭で残業が出来ないことや時間的な制約があっても、それ以上に”自分はこういう面で頑張れる”というアピールと、熱心な姿勢を伝える努力をすることが大切ですよ」というようなものである。
しかし相手は自分には全く非が無いという言い様で、自分を採用しない企業や、解雇した企業への不満ばかりを訴える。
母子家庭だからと差別されることは確かに不当なことだ。その狭間で苦しむ経験は母子家庭歴13年の私自身、過去に何度もしている。だから気持ちは本当はよくわかるし出来ることなら助けてやりたい。
しかし、人並み以上の努力を繰り返さずして母子家庭のハンディを引き受けてくれる企業なんてそんなにあるものではない、それが現実だ。
そして、母子家庭の母親が子どものためにすべてをかけるのと同じように、経営者はみんな、人生をかけて企業を維持していることを知るべきである。
与えられることだけをまるで当たり前だと思って生きている人には、私のアドバイスは全く通じない。もっと言えば、そういう人には、その電話のために私が夕食作りを中断し、その横で娘がお腹をすかして待っていることなども予想すらつかないだろう。
厳しい意見だが、そういう人物を企業が喜んで引き受けるとは思えない。
少しでも社会貢献できればという気持ちとは裏腹に、本当に誰かの役に立つのは難しい。数時間も愚痴を聞かされていると、空しい時間を過ごしていると思う時もある。
しかし諦めたくは無い。いつか、ひとりでもいいから、ほんの少しでもいいから役に立てれば、という気持ちを絶対に捨てたくない。誰かを助けることとは、耐えることと継続することから始まると思っている。
もしも母子家庭を採用して、裏切られる経験をしたことのある経営者の方がいたら伝えたい。それでもまた機会があれば母子家庭の人を採用してほしい。その母親の後ろには、母を支えようとする子ども達がいる。
いつか、経営者の熱い思いを理解する母子家庭の母親が現れ、懸命に仕事をしてくれた時、本人はもちろん、その子どもがもっと幸せになれるから。











