仕事でも人生でも、人は生きる限り、何か夢や目標を持つものだと思う。

 で、私の場合。
 
 ある時期から、私は夢や目標というのは達成させることよりも、達成するまでのその行程に意義がある、と思うようになった。

 サラリーマン時代に営業をしていた私は、回りの人になんとなく一風変わったヤツと見られていたらしく、とくに最初の頃は、何かにつけて異端の目で見られることが多かった。そのためにシカトされたり根も葉もない噂が出回ったりと散々な目に合ったこともある。そのことを今更どうこういうつもりは全然無いのだが、それよりも、そんな風にあから様に異端な目で見ていた回りの人々が、ある日、私が大きな営業数値を挙げると、突然手のひらを返したように、「あなたならきっと出来ると思っていた」「頑張ったわね」などと賛美を唱え、羨望の目で見られる、という経験をした。

 褒められたことは素直に嬉しいなと思ったけれど、しかし私は昨日までの私と何かが変わったわけではないので、人々の評価がこんなにも変わるものなのか、ということに驚いた。

 その時、、回りの評価というのはあんまり意味が無いものだということを実感した。なにしろ「結果」は努力の積み重ねの先に”オマケ”の如く付いてきただけなのだから。

 そして振り返ってみると、散々な目に合いながらも努力の継続を辞めずに淡々と仕事に打ち込んできた日々が非常に眩しく、そこに達成感を感じた。なんというか、継続するということはすっごく大事なんだなーと感じた。そして自分がそうできたことが、何よりも本当に良かった、と思ったのである。

 その後。
 回りの羨望の目は、今度はだんだんと嫉妬の目に変わって足の引っ張り合いに巻き込まれるという羽目に合う。人間の感情は摩訶不思議だ。

 しかしそれでも、私は最初の経験から、常に努力を積み重ねるべき、という発想が揺るがないものになっていたので、自分の道を自分で切り開くことを諦めようとは思わなかった。

 だって、努力の過程に意味があるのだから、夢がすぐに叶ったらあまりにつまらないじゃん。

 達成することよりも、達成しようと頑張る日々を満喫したい。

 だから今日も、夢に向かって飽くなき一歩を踏み出す。それが最高に面白い。