2015年11月27日 12:36

頚椎症性脊髄症(頚髄症)、その後のあたし

このブログにたどり着く人の中で一番多いのがこの病気に関する検索ワード。同じ病気になった人やそのご家族の方が読みに来ている模様。

というわけで、そういう方々に向けて、この病についてチト書いておこうと思う。

頚椎症性脊髄症(頚髄症)とは何か



人は年齢と共に、骨がちょっとばかり削れたり、あるいは逆に節が太くなったり、変形した骨のはじっこが尖ってしまったり、ということが誰しも起こる。大概の場合は大きな影響はないのだが、背骨の首に当たる部分の骨がチョイ変形したことにより、その後ろにある自分の脊髄神経を圧迫してしまったり、あるいは損傷させたりした状態になり、体の一部や全部に麻痺症状が起こる、というのがこの病の概要。

私の場合は、首の骨の節が微妙にとがって、自分の骨が自分の神経を傷つけるということになり、体の至る所に痺れや痛みなどの麻痺症状が生じることとなった。これが6年間のこと。自覚症状が出てから一気に症状が進行して四カ月後には手術と相成った。

どんな手術をするのか?

手術治療で何をするかというと、脊髄神経の通り道を広げ圧迫を緩和する、ということが行われる。実際の手術には複数の方法があるが、私は椎弓と呼ばれる、背骨の後ろにある傘のような形の骨を開いて人工骨をつなぎ、脊髄神経の通り道を広げる手術をしている。これを首の背骨5〜6か所に行うというもの。

他にも、前方から手術する方法などもある。全身麻酔の一応、大手術ですナ。しかし患者本人は寝ているので、頑張るのは医師だけど。

手術の効果は?

手術は「これ以上の悪化を防ぐ」という意味で大いに効果がある。だから基本的にやった方がいいと思うよ。その決断をする時期は、「日常生活に大いに支障をきたす」と感じるようになった時、というのが無難であろうと思う。

ただし、圧迫が長期間続いていたり、骨がとがって脊髄神経そのものを傷つけている場合などは、手術しても体感的にどこまで回復するかはわからない。脊髄神経は、一度損傷したり壊死すると再生しない、脳細胞と同じである。この点は少しばかり覚悟も必要となる。ただし、人間の体や脳は未知数であり、訓練次第で他の部分を発達させてカバーする能力を持っていることも実感している。これについては後半でまた述べる。

また、頚椎の場合とくに、場所が場所だけに術後に肩こりや頭痛がひどくなったという人や、思ったほど改善せず落ち込んで気持ちが病む人もいる。だから医師側も、とくに頚椎の場合は積極的に手術したがらない傾向が無きにしも非ず。

ちなみに私の場合、麻痺が一気に進行し、歩行困難や全身の強い痛みのほか、言葉が出にくい、呼吸がしにくい、という状態になり(このまま進行すれば心臓も動かなくなる)と、内心で自己分析していたので、医師に「一日も早く手術してくれ」と懇願した経緯がある。

という具合にわたしの場合は著しく病状が進行したわけだが、多くの場合は、症状はもっとゆるやかに進む。なのでゆっくり考えよう。超イケメンの医師でタイプ♪とか、そいうことで手術決めても全然オッケ〜。リラックスして手術の決断をする方がいいからね。

術後の回復時期

私の場合は術前には殆ど歩けず全身痛みがある状況だったのが、手術2日後に「立ち上がってみて」と看護師に促されて、おっかなびっくり立ち上がったら、普通に立てたので非常に驚いた。と言っても、半身にやや麻痺が残り歩く時は杖が離せなくなったり、それなりに不自由さも残ったわけだが、術前の殆ど歩けず全身に強い痛みがあった状況に比べれば、天と地ほどの違いである。

そのため、術後2日目にして「ワーイ♪ヤッタゼ!バンザ〜イ♪」という嬉しい気持ちで一杯になった。

ただし、逆に術前の体感症状が私ほどひどくはなかった人などは、思ったほど変化が無いことで元気が出ず、術後も泣き暮らしているような人もいた。半身麻痺の残った私よりも明らかに症状は軽いのに、すっかり気持ちが病んでいる。

そういう人を見ると非常に気の毒になる。杖をついてゆっくりしか歩けない私が結構ハッピーに生きているのに対して、私よりも明らかに症状が軽い人の方が、余程辛そうに生きているという現実もある。という具合に、病気を克服するには、単に病状の良し悪しだけでなく、本人の気持ちの問題が大きく影響することも知っておく方がいいと思う。

病気と共に生きる


手術して100%症状が改善しヤッホーな人もいるのだが、私のように後遺症が残る人もいる。私より症状が軽くても気持ちの面で落ち込んで苦しむ人もいる。いずれにしても、どのような状態になったとしても、その環境を正面から受け入れ生きていくことが鍵になる。

病によって、失ったものや出来なくなったことを嘆くよりも、工夫すれば出来ることがたくさんある発見に喜びを見出すポジティブさや、冷静で心穏やかな精神が、術後の回復には大事なのだ。

ゆっくりしか歩けないようになって私は、季節の変化や、すれ違う人々の会話や、道端の自然や、季節の変化に気持ちが向くようになり、フと心が和む瞬間を味わう機会が増えた。いつも忙しく走っていた時は全然見えていなかったのに。

そして、杖をついているとみんなが親切にしてくれる日々。健常者の時には、世間はとても厳しく冷たかった(ように思う)。私がシングルマザー歴20年超ということもあるが、これまでは生きていくのがとても大変で、毎日が必死だった。いや、あの頃は気持ちに余裕が無さすぎて見えていなかっただけなのだろう。世間の人が、本当はこんなにも心優しく親切であることを。

反対に、人や物への執着や欲が無くなったことで、人と縁を切る決断が早くなった、という面もある。大事なものと、そうではないものの判別が明確化した。だからオサラバした人もいる。さよならバイバイ♪

病気で得るものは案外多い

「不便ではあるが、不幸ではない」という言葉を先日テレビで聞いた。別の病の人の言葉だったと思うが、私もそう思っている。

あれから6年たった私は、術前には出来なかったことで今できることの方が圧倒的に多い。脳や神経は、例え損傷しても、訓練次第で他の部分を発達させてカバーする能力を持っていることも実感している。

例えば短時間で一気に集中力を挙げる能力などは、相当上回った観がある。これは訓練の結果であり、あせらず少しずつ努力するというスタンスが功を成したと思える。昔の自分はかなりのせっかちで、そんな根気はまるで無かったというのに。

また、自分に出来る事と出来ないことの判別が素早くなり、出来ないことに対して、あっさり諦められるようになった。例えば、いつかエジプトのピラミッドをナマで見てみたいという夢が昔はあったけれど、今は、むしろあんな熱い砂地に行きたくねぇ!と思いまふ…(^^;

他にも、物事を工夫する、ということに嬉々たる喜びを感じるようになった。趣味のベランダ菜園はプランターをすべて台の上に置く、という工夫によって、屈まなくても手入れができるから趣味続行でき、これに気が付いた自分万歳と思ったのであった。他にも、趣味の料理では、長く立ち続けられないことで作れなくなったレジピもあるが、かわりに新しい時短料理を次々にマスターして、その度にやったゼ!という気分になる。自動千切り機とか、万能スライサーとか、最近のオーブンレンジなど便利なものがたくさんあって、そういうのを見つける度に楽しい。以前だったら、この程度でいちいちウキウキしなかっただろう。

唯一悲しかったのは、スカートとハイヒールを捨てたことかな。靴は、少しでも足に合わないと危険なので、常に同じ靴を色違いで持つだけになった。ま、お金がかからなくていいか(^^; その分、たまにネイルに行くようになったけどw。

という具合に、病のせいで失ったものもあるのだが、むしろ得たものの方が大きいような気がしなくもない。そして、幸せかどうかという観点で言うと、今の方が明らかに幸せだと思える。なんだか毎日がやたらと楽しい。

というわけで、今この病に悩んでいる人、そして手術を決断した人は、是非とも、術後の回復時期を、楽しみながら立ち向かう気持ちを持ってほしいと思う。

自分の病と向き合い、焦らずに、時には弱気になる自分を許し癒しながら、一歩ずつ進み諦めないこと。それが大事。生きてるって、それだけです〜ばらしいのダ♪


 



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