2010年11月01日 03:22
自分に自信が持てないかもしれない
ここ数ヶ月、自分に自信が持てないかも?というような感覚を味わっている。
でもそれは、ちょっと前の自分がダメだったということを自覚したり自己分析が出来ているということでもあり、悪い意味だけではない面もある。
以前はそのようなことを思う時間すら無かったからである。
こういう感覚を味わうようになったのは、頚椎脊柱管狭窄症が発症してから。
手術を受けて11ヵ月ほど過ぎているが、さすがに頚椎という人体の重要部分の大手術を受けたこともあって簡単に元通りの体にはなれないので、発病前と同じようなペースでは仕事が出来ない状況が続いている。
しかしまぁ、それ以前の自分の仕事ぶりが無謀するほどの激務だったので、今の方が、普通の人並みのペースで仕事をしているんじゃないのかネ、と思えるふしもある。だいたい、今思えば以前は何故あんなに忙しく生きていたのか。あれじゃ体も壊すよネーと自分でも思う次第。
という具合に、過去の自分を振り返り冷静に客観視するようになったのは、病気の影響で仕事のペースを落とす必然性が生じて業務効率を本格的に進めたことによる。つまり、考えるヒマ(時間)が出来たのである。
すると、過去の自分が、常にその場の直感で物事を判断していたことをあらためて実感することになった。しかも、たいした根拠も無く素早い決断をしてきたことに我ながら感心したり呆れたり。そういう直感系の感覚が鋭い人間だったのだということも再確認した。
そんで、私は今、その時に比べると自分に自信が無くなったので、即断即決が出来ないことになっているが、でもその方がイイような気もする。
少しは自分の判断を疑ったり再考すべきだろ?と思うので・・・
ジツを言うと、ホントは以前よりも増して根拠無く結論が頭にひらめくような感覚があり、それがなんだか妙な気がして、それで自分を疑うような心境になった。(もういっぺん良く考えようよ、アタシ)と自分に問う日々。
でもジツは、そうやってひらめいたことが以前よりも的確だったりしてサー。そんなモンだよね?多分。。。はははのは
でもそれは、ちょっと前の自分がダメだったということを自覚したり自己分析が出来ているということでもあり、悪い意味だけではない面もある。
以前はそのようなことを思う時間すら無かったからである。
こういう感覚を味わうようになったのは、頚椎脊柱管狭窄症が発症してから。
手術を受けて11ヵ月ほど過ぎているが、さすがに頚椎という人体の重要部分の大手術を受けたこともあって簡単に元通りの体にはなれないので、発病前と同じようなペースでは仕事が出来ない状況が続いている。
しかしまぁ、それ以前の自分の仕事ぶりが無謀するほどの激務だったので、今の方が、普通の人並みのペースで仕事をしているんじゃないのかネ、と思えるふしもある。だいたい、今思えば以前は何故あんなに忙しく生きていたのか。あれじゃ体も壊すよネーと自分でも思う次第。
という具合に、過去の自分を振り返り冷静に客観視するようになったのは、病気の影響で仕事のペースを落とす必然性が生じて業務効率を本格的に進めたことによる。つまり、考えるヒマ(時間)が出来たのである。
すると、過去の自分が、常にその場の直感で物事を判断していたことをあらためて実感することになった。しかも、たいした根拠も無く素早い決断をしてきたことに我ながら感心したり呆れたり。そういう直感系の感覚が鋭い人間だったのだということも再確認した。
そんで、私は今、その時に比べると自分に自信が無くなったので、即断即決が出来ないことになっているが、でもその方がイイような気もする。
少しは自分の判断を疑ったり再考すべきだろ?と思うので・・・
ジツを言うと、ホントは以前よりも増して根拠無く結論が頭にひらめくような感覚があり、それがなんだか妙な気がして、それで自分を疑うような心境になった。(もういっぺん良く考えようよ、アタシ)と自分に問う日々。
でもジツは、そうやってひらめいたことが以前よりも的確だったりしてサー。そんなモンだよね?多分。。。はははのは
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