「KY(ケーワイ)」とはイマドキの若者言葉で、訳すると「空気を読めない人(KUUKI YOMENAI)」という意味。

 知ってた?

 その場の空気が読めない人を、例えばギャル的に言うと「あいつケーワイじゃね?」となる。

 ちなみに私がギャル語や若者言葉に多少詳しいのは、現役思春期の娘が2人いるからで、その影響のせいで自分も「キモイ」「ウザくね?」「マジ、アリエナイ」というような言葉を普通に使うようになりつつあり、40歳超えたオバサンのくせにこれでイイのかと自分でも思うのだが、慣れとはオソロシイもので毎日聞かされると確実にうつる。ホント「マジやばくね?」と自分でも思う。

 若者の言葉を聴いて、日本語がおかしくなっていると嘆く人もいるかもしれないが、新たな言葉や表現が生まれそして廃れていくその繰り返しこそが文化そのものであり、言語の変化は時代の文化の象徴であると私は思う。

 ギャル語を聞いてイライラするお父さん達だって、昔はナウでヤングな新人類だったわけで、時代が変われば言葉が変わる、そのことに目くじらを立ててはいけないのだ。

 と、話はスッカリ反れたが、本題のケーワイについて。

 KYと言えば、旬なところで、選挙で惨敗したのに「続投して役目を果たすのがワタクシの責任です」と言い張って日本中をシラ〜っとさせてる人なんかは、KY日本代表だと思う。

 空気をよめる・よめないということは、コミュニケーション能力の有り・無しを指している。こうした能力は、人間関係の構築や仕事の場面でも大きく影響するし、とくに人と人との関係を作っていく上でとても大切な感覚であると思う。

 若者が「ケーワイ(空気よめない)」という表現を好んで使うということは、空気のよめる・よめない、ということを強く意識していることになる。これは、スゴク良い傾向だと私は感じる。なにしろ、ワタシは空気よめない人には昔からすごく抵抗感がある。

 空気をよめない人は、不要に人を傷つけたりトラブルを巻き起こしながらも、本人はその意識すら無い。しかし何故か世間はKYに寛大な面があり、悪気がナイからイ〜じゃないかと許されている。あえて指摘をすると、まぁまぁオトナになって…などと回りにたしなめられたりするし、どうしてKYがこうも横行しまくっているのか私には非常に疑問である。

 KYは、指摘をすれば居直り、ムチャクチャな理論で自分は悪くないと言い張って、更には被害者面してあちこちに泣きを入れて回りの同情を得てしまう。そういう自己防衛本能だけは天下一品で、生命力が強いというか生きることに貪欲というか妙なパワーがある。そして、自分を指摘するような非KYを排除しようと本能的に画策する力もあり、それが一番厄介な部分である。

 そんなわけで、若者がKYという言葉を使い、KYをノーと言っていることには大賛成。

 もっと言ってくれぇ〜!

PS
これを読んで、自分もKYかも?と思ったアナタ。アナタはKYではありませんのでご安心を♪
本物のKYは、その名の通り自分がそうであるとは絶対に思っていないので。