知人のブログで説教のやり方について語っているものがあり、なかなか面白かった。

彼の説によると、説教というのはだいたい30分で一巡し、それ以上となると同じ話を繰り返すことになる、という件がある。うんうん、わかるわかる。

なので説教は30分として、あとはその場その場で1分程度の小言を繰り返し言うことで、無意識的に相手に物事を伝えるやり方が良いのではないか、というようなことが書かれていた。刷り込み作戦というわけか、ふむふむなるほど。

そして彼は、それを自分のお子さんに試してみて、その方法論が正しいかどうかを検証してみると書いてあった。

彼の考え方は、実は大筋で私の考え方に近いものがある。というわけで、彼がやろうとしている検証を、私は既に自分の娘達に試しているのである。そしてその子達は今18歳と15歳になっている。

その結果が果たしてどうなっているか、彼としては気になるところであろう。というわけで、ここで彼に報告を兼ねて結果を書いてみる。

結論から言うと、彼の持論は基本的には正解だと思う。

基本的には、と書いたのは、基本じゃない部分で不正解なのか?という曖昧な表現なので、話を引っ張るなヨ、と思うかもしれないが、一言で書くのはチト難しい。

・・・とりあえず思うままに書いてみる。

まずは、説教を短めに小言を多く方式で育った私の娘達がどうなったかと言うと、人並み以上のタフな精神力と旺盛な自立心を持ち、気持ちの切り替えがうまく、立ち直りが早い。切り替えや立ち直りが早いのは、説教を短めにして即座に切り替えるようにしてきたことの効果なのかもしれない。小言による刷り込み作戦も、子ども達の心に自然に根付いている「正義感」や「ケジメにこだわる考え方」などに効果が現れているように思う。

というわけで、作戦大成功じゃん?

しかし、我が家の子達が、私の叱り方についてどういう感想を持っているかを聞くと、それは「年中怒られている」というモノであった。

ちなみに「説教が長くない」ということについては何の評価も認識も無く、それ以上に“すぐにガミガミ言われるのがイヤだった”ということに強い印象を持っていた。

・・・う〜む、親の苦労子知らず(苦笑)

我が家の子達が逞しく育った理由は、私の教育方針そのものが厳しかったことや子どもの性質のせいであり、説教の方法論の影響はさほど大きくないらしい。

そういえば、私の親は非常に厳しく説教が長いタイプだったけれど、思い返せば小言は少なかった。そして、その親に育てられた私という人間は、娘達と同様にタフな精神と旺盛な自立心があるタイプだし、正義感や価値観を知らない間に親に刷り込まれていたことも今更実感している。

だからさ、説教の長短や小言の多い少ないに関係なく、結果は同じだったのである。(残念ながら)

若き親だった頃は、自分の親を反面教師にしたつもりが、「厳しい親」という点で全くソックリであったと今は認める思いになっている。

それでも「長すぎる説教」は、説教する側が自己陶酔に走るという間違いを起こしやすい危険があるので、そうならないように気をつけることには確かに意味があるとは思う。

しかし一番大切なことは、子どもへの愛情や責任のもとで、良い人間に育ってほしいと願う親としての熱い思いを子どもに伝えようとする信念があるのかどうかであり、子どもに影響するのはその「思い」であると私は思う。

その思いの下であれば、方法は問わないのではないか。。。というのが結論。


私の親の「長い説教」は、私を一生懸命に育てようとした親としての信念と熱い思いの結果であると、今の自分には心底よくわかる。私の親は本当に一生懸命に私を育ててくれた。そして私も同じように子ども達を一生懸命に育ててきた。

我が家の子達は、私を反面教師にして、自分の子どもには説教を長く小言を少なくするかもしれないし、孫はそれに反発してその反対を・・・と繰り返すのかもしれない。でも、それで良いと思う。方法は違っても、子どもを一生懸命に育てようとする親としての思いは、私が親から受け継いだように、きっとこの先も代々伝わるだろう。