2006年03月21日 02:44
バカ正直の危険と強さ
昔、私が生保レディをしてた時、ある時期一気に成績を伸ばした時があった。その頃は離婚したてで収入もまだ低く、生活がかかっていたこともあり、とにかく必死に仕事して、土日も休まず営業しまくり。がむしゃら”を地でいってた日々だった。今思い出しても あの頃の私は頑張ってたにゃ〜 などと懐かしい思い出の日々だったりする。
そうやって必死こいて仕事しまくっているうちに、成績が一気に上がって収入も増えた。あれだけ頑張ったんだし、その前まではボチボチでしか仕事してなかったので、当然と言えば当然の結果だが。
そんなこんなで、やっと生活の安定が見えてきたと思ったら、今度は先輩達の執拗なるいやがらせに悩まされることになる。
「でも、一生懸命頑張ればいつかわかってもらえる」
「誤解はそのうちとけるに違いない」
そう思っていた自分がまるで甘かった!
人の嫉妬心というのは侮れないことをイヤという程思い知らされることになる。度々足を引っ張られ、更には苦労して積み重ねた努力や信用が一瞬で吹き飛ぶ経験もした。
ただ一生懸命頑張って結果を出しただけなのに、何故?
免疫ナシな私にとっては手痛い経験の連続だった。
そんな時、ある上司が私に言った。
「自分の仕事を淡々と続けていればいつか誤解が溶ける日がくる」
確かにそうかもしれない。正直に生きることの真の強さを否定はしたくない。
しかし、そのために受けるマイナス要素が大きすぎれば、誤解が溶ける日を待ってはいられない。自分が守らなければならない家族の生活をこれ以上犠牲には出来なかった。
というわけで、私は学んだのである。
自分が無防備で正直であることが、回りに不要意に悪人を増やす可能性を作っていたことを。自分のように時間や余裕の無い人間は、ただがむしゃらにバカ正直に一生懸命やるだけではダメなのだ。
仕事上で一気に売上げを伸ばしたり、収入が急激にアップしたり、組織が飛躍的に拡大したりしして大いに目立ってしまうと、それを賞賛する人と誹謗中傷する人とが両方現れる。これは世の常なのかもしれない。
とくに誹謗中傷する側の人の心にはヤッカミという邪まな感情が存在していて、この厄介な感情を封じ込めるのは非常に難しく、単純に頑張って仕事することに夢中になっているようなバカ正直者には、まるで太刀打ち出来ない程の巧妙さと信じられないほどのパワーとで、無防備なバカ正直者を簡単に追い落としてくれる。
だから、がむしゃらにひとり駆け上がるよりも、仲間と手を取って着実な一歩を歩く道を私は選ぶようになった。そこから、多くのことを学んできたと思う。
が、しかし。
それでも今、攻撃よりも防御に重きを置き、警戒心の強い自分がイヤになる瞬間もある。そういう思いになるのは、自分の娘達が今、熱く未熟な思春期青春期を精一杯生きているのを目の当たりにしているからかもしれない。
娘達のバカ正直で熱い心は、昔の自分そのものだと感じる。今の私の、モノゴトを先回りして警戒しがちな発想を、躊躇無くアッサリと非難する娘たちに、あなた達を守るためにそうしたんだケドね、、、とも言えず。
別に後悔はしてないが、バカ正直を貫けなかった自分は、真のバカ正直な人にきっと勝てないだろうなと思える。
それでもいいか。自分で選んだ道だし。
それに、バカ正直を非難して足を引っ張る側の人には、私はならなかったと思う。そのプライドだけは捨てずに生きてきたから、まぁ充分かな。
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コメント一覧
バカ正直、いいじゃないですか!
娘さんたち、まっすぐに育っているんですわ。ホコリに思うことですわ!
人の足を引っ張るようなお子さんにはなっていないはず!
しかし、ヤッカミ、いやですな〜。
正直、ワシは憎たらしい年上をヤキいや、こらしめたり(男性でしたが)、
年下のクソ生意気なOLに殴りかかったりして、上司にはがいじめにされたりとか、そんなんでしたワ。
そんなワシも警戒心が強くなってしまって・・・?

そういえば私も昔、先輩に殴りかかりそうになり、上司が止めに入って腕をねじ上げられたワ。
その上司が剣道4段で、すげー力だったので、思わず「いでででででで」と絶叫し、怒りが収まったかわりに痛くて号泣してしまったというオソマツ。
今じゃ笑っちゃう思い出だわナ。
会社やってると警戒心強くなるよね。。。
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