2005年11月30日 01:35
危機管理は確率で考えるべき
最近、色々なモノゴトに問題意識を持って苦情や疑問をぶつける、ということを嫌う風潮ってのがあると思う。
例えば、些細なことで学校の先生に文句をつける親はバカ親っぽい、とか、レストランで店員の対応が悪いことにイチイチ腹を立てるのは大人気ない、等等。
そんな小さなことを…という、つまりそういう小さなことに、いちいちメクジラを立てるのを嫌う主義をとりあえず温厚主義と呼んでみる。
温厚主義の増徴は平和な世の中の証し、ということかもしれない。
しかしそういう風潮は、人間の危機管理意識を低下させるという一面がある。私としてはソコを問いたい。
朝のテレビで みのもんた氏 が「皆もっと社会への疑問や問題に対して怒りをもたなきゃイカ〜ン!」と毎朝画面の中で怒っている。それを見ている次女が「みのさん、怒らないで〜」と叫ぶので、朝から爆笑。
でも、私はみのさんに同感する!人間もっと怒りや疑問を表明し、苦情やツッコミをどんどん入れるべきだ。その方が社会は安全になるんだよ。ネ〜みのさん。
ところで、以前、うちの娘が中学の部活動(スポーツ)の途中に捻挫をした。その前から娘が度々ケガをすることが増えていたので理由を娘に聞くと、通常、練習の途中に体育館の床をモップ掛けして汗などで濡れた床を拭くのが下級生の仕事なのだが、今年の下級生はそれをいつもテキトーにやっているから床が滑る、先生はそれを知らない、とのこと。原因があって起こるべくして起こったケガだったわけだ。
で、娘は重度の捻挫で1ヶ月松葉杖になったが、その時の顧問の先生の言い分が「スポーツ部なので、このぐらいのケガはアタリマエ」というお言葉。
ムカついた私は教育委員会にメールして「危機管理意識への認識が甘い。モップ掛けをちゃんとするよう指導していない。」と苦情を言ったのだが、その答えは「誠に仰るとおりです、以後気をつけます」みたいな、真摯的とも形式的とも、どちらとも取れるような回答であった。
その真意が”ウルサイ親がいるからテキトーに謝っとケ”ということだとしても、その後ちょっとでもモップ掛けへの意識が変わるなら、自動的にケガの確率は減ることになる。事実その後、明らかにケガが減ったので効果はあったのだ。
そんなの偶然サ、と言うなかれ。
事例数値が増えるほどに「大数の法則」によって確率の数値は実際の数値に限りなく近付くのだヨ。誰かが問題提起を表明すること自体に、失敗や危険を回避できる確率を上げる効果がちゃんとあるのだ。
例えば、神経質な親の子はケガが少なく、大らかな親の子は生傷が絶えない、これ事実だと思うよ。回りの親子をよく見て数値を数えてみてほしい。
確率を考えれば、問題提起が危機管理に直結することは当たり前なのである。
そして、仕事の場面でも同じことが言える。問題意識を常に持っている人がいると、仕事上の失敗や危険度の確率が下がることになる。
社会にとっても問題提起する人が多いほど、犯罪や事件は減る。だから、みのさんは正しい。皆も、もっと怒りを表明しよ〜ぅ。
というわけで、何かとイチャモン付ける人というのは「危機管理」という面から見ると必要な存在なのである。
しかし、些細なことにメクジラを立てるのは、例えば子育てにおいて子どもの心に与える影響はどうなの?とか、仕事においても自由な発想ができない環境で大きな仕事は出来ないのでは?とか、些細なことにケチをつけられると空気がギクシャクしてチームワークが乱れる、というような別の問題もある。
で、私が思うに、大切なのはバランスと理解、ではないかと思う。
大らかで自由な発想の人と、神経質で問題意識が強い人が、役割分担して互いを尊重し合いながらコンビやグループを組むと、これは最強コンビとなってモノゴトはより良い方に進むのではないか。
ただし、互いの必要性を認め合えない場合には、足を引っ張り合うだけとなって折角のコンビも価値が無くなってしまう。大切なことは、互いの必要性をきちんと理解し合えているかどうかだ。温厚主義者もほどほどには結構だが、問題提起している人の足を引っ張るのだけはやめてほしい。社会を、職場を、学校を、危険に曝すことになるのだから。
問題提起型も温厚主義も程よくバランスよく存在しているグループは、会社でも、学校でも、父兄会でも、ご近所さんでも、友達同士でも、その環境はより安全で健全な場となる。自分の役割を理解し、相手の価値を理解し合えれば、自分も価値ある人になれる。
さて〜。
問題提起型や互いの尊重の度合いの組み合わせで、社会の貢献度について勝手にランクをつけてみた。勝手な解釈なのでご了承を。
1位 問題提起型人間で、温厚主義人間の価値を知っている。
→社会の安全を守り貢献できる。ウルサイけれど役に立つ人。
2位 温厚主義人間で、問題的型人間の価値を知っている。
→バランスを保つという面で社会に貢献している。こういう人がいないと、問題提起する人が終いにはいなくなる。
3位 問題提起型人間で、温厚主義を嫌う。
→イチャモンを付けることだけが趣味の困ったちゃん的存在。
しかし偶然役に立つこともあるので、まだマシ。
4位 温厚主義人間で、問題的型人間を嫌う。
→社会にとってプラスにならない。この手の人の多い環境は隙だらけで危険が一杯。
5位 何もしないし考えてない。
→社会の毒
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コメント一覧
ときどき拝見させていただいています。
今回の記事、とてもいいと思いました。
激しく共感いたします。
私は情報業界にいますが、
リスク・マネジメントができないと、
プロジェクトが恐ろしい事態になってしまう
ことがあります。
楽観的な上司についたときには
特に要注意、です。
痛い目に見る前に、手を打っていきたいと
思います。
ホントにその通りですね。
仕事ではとくに、この意識って大きな要素だと思っています。
先手を打つ発想も大事ですよね。
私も強く共感したのでコメントしてしまいました。
私は日々「当たり前を当たり前で見過ごすな」と思ってるのですが、ほんと社旗をよくしていくためにはみんなが(多数というのがポイントですね)意見を表明していかないといけないと思います。
内輪で文句ばかり言うのではなく、いうべき場所に意見を言うべきだと思います。私はコンビニに2回クレームつけたことがあります^^;深夜の接客があまりにずさんだったので。
確率論的な発想もユニークですよね。
ではでは。
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