先日、自分の判断基準が感覚的なものに近く説明できない、というようなことを書いた。また、そのずっと前にも、自分はカンで生きている?というようなことを書いているのだが、似たような話を有名人のブログで発見。

私が愛読しているブログの一つである、USENの宇野社長ブログである。

宇野社長が、某企業役員の方と会食した際の会話

--------------------------------------------------
その方は、CDやDVDの仕入れを行うとき、当然売れ行きの予測をするのですが、それが百枚単位の誤差で当てることもあるいうのです。

「どういう基準で予測されるのですか?」とお伺いすると・・・

「勘です」 

「ただし、それは全て過去の経験則から、あらゆるデータを自分の中に持っていて、本当はそのデータから様々な分析を行っているだと思いますが、それを正確に記憶して、正確に計算しているわけではないので、自分では “勘” というように認識しているのでしょう」

「だから、自分の “勘” は自分の経験則を超えることはないのです」
--------------------------------------------------

更に、宇野社長はご自分も仕事の場面で勘を働かせることは多いと書いている。

自分も同様なので、エライ人が同じようなことを言っているのを知って嬉しくなってしまった私。

また、宇野社長は、勘の適用範囲を間違えないことと適用範囲を広げる努力をすることを気をつけている、とも書かれていて、なるほど、と非常に考えさせられた。

人は生きて行くなかで様々な体験を積み、それを経験値として蓄積していく。経験値のカードをいくつも持ち、何かコトを判断する時、そのカードのいくつかを組み合わせてベストな方法を探り、先の予想を立てて方針を決める。そのカードが増えれば増えるほど、そして判断時のカードの組み合わせが複雑になるほど、時には限りなく真実に近い予測がつく場合もある。

それを瞬時に総合判断するので、明確で理論的な理由を説明できないから、それは勘である、と表現するのがやっぱり相応しいけれど、しかしその勘は自分の経験値を超えることはきっと無い。


もちろん勘がハズレる時もあるので、いつでも正しいとは言い難く、それが悩ましいが。

でも、私は自分の勘をもっと信じようと思う。そして、適用範囲を間違えない努力と、範囲を広げる努力をずっとしていこうと思う。

自分の勘がほほ真実に等しい結果となり、それがクライアントとか仕事仲間にも通じた、と実感できた時、きっと仕事はもっともっと楽しくなる。