先日、ある大手企業の若手エリート君と仕事で同行する機会があり、その帰りに軽く飲んだ。

 彼は真面目が服を着て歩いているような人で、会社の教えに素直に従い、組織の一員として生きてきた純朴な好青年である。私はといえば、組織からはみ出しちゃうので独立したようなタイプなので、彼の生き方や常識観とはまるで違った世界で生きている。

 そんなわけで、彼との飲み会は、組織人と自分の感覚のギャップをあらためて実感する場となった。

 話の中で、彼は私のことを「様々な環境の中で旨く立ち回っている人」というような解釈していた。私は確かに色々な価値観を認めたり受け入れたりする発想を持っているので、色々な人と”旨くやっている”ように見えるのかもしれない。

 しかし、私の基準値を言うと”その人のなりのポリシーや強い信念を貫いて生きている人”は認めるというものだ。どんなに私と考え方が違っていても、信念を持って生きる人はOKなのである。そう思うからこそ仲良く出来るし仕事でも組める。

 ただしその信念や生き方を私に必要以上に強要する人はダメで、これは多分にその人の性格的な要素だと思うが、例えば、別の組織を卑下した選民思考が異常に強かったり、従わない人や違う価値観の人を四六時中馬鹿にしているような人には拒否反応が起こる。そういう人とは絶対仕事で組まないし組めない。

 だから誰とでも旨くやっているわけではないよ、というようなことを彼に説明した。

 彼は「自分は今まで組織に指示されたことはやって当たり前という中にいたので、自分の価値観の是非で仕事を選ぶことは無かったから・・・」と言っていた。なるほど、彼は組織人だなと実感。

 私の場合は、会社の指示と自分が良いと思うことが一致していれば問題は無いのだが、そうじゃない時には、何故?どうして?を言わずにはいられないし、自分が良いと思えないことを強要されるぐらいなら、その組織から躊躇無く降りる選択をする。

 ↑こういう人ってホント組織には向いてないよねぇ?と自分でも思うワ。

 だから組織主義的組織?には私がいると多分迷惑になるから近付かないようにした方がイイと思ったりする。組織論を主体に生きる人にとっては、組織としての決めごとや方向性は重要な要素だろうし、組織の向かう方向に進むことは当たり前のことなのだろう。

 しかし私にとってはとても遠くの世界に見える。

 でも、これだけは思う。

 『そもそも色んな価値観を認められないのって根本的に心が狭くない?それに、組織よりも、自分や他人とか個々人の価値観を尊重できないのってどうよ?』

 組織人になれなかった私のささやかな反論、デシタ。