以前、自分が小さい会社で営業マンをしていた時、ある企業にプレゼンに行き仕事を取れそうな段階になって、自社の経営者からストップがかかったことがある。

 理由は利幅が少ないということで、つまり経営リスクの回避のためだったが、その時自分は社長に強く反対し、この仕事をどうしても取るんだと主張し続けて、最後は社長がそれに折れた格好になった。

 その時自分が主張した理由は、決して目先の数字のためではなくて、このクライアントが継続的な顧客になる可能性が高いという確信があったからだった。

 しかしそれは、顧客の社風や自社や自分との相性、というようなメンタル面も含め、顧客が求めるものに応えられる体制が自社にあり、そして自分も対応できて更に楽しんで仕事が出来そうな内容であるというような認識と、一種のカンに近いような感覚がミックスした上での、総合的な判断による確信で、だから、それを口では説明するのは難しかった。

 そのため、色々言えば言うほど、まるで自分の目先の数字がほしくて駄々をこねているようにしか取られす、そして(も〜しかたがないからイイヨ)みたいなことでなんとか許可されたわけだ。

 結果、その顧客との取引は私がその会社を退社して6年の歳月を経過した今でも定期業務が入り続けて、その会社の重要クライアントの一つになっている。

 しかし私のその時の判断が、それを予想してのものだったとは今でもその会社の人は誰も思っていないと思う。
 

 あれから6年が過ぎて現在独立経営している中で、再び自分のこの手の経営判断や仕事の選択基準が、他人とすれ違う、ということを実感する場面が増えている。トシをくったせいか、そういう突っ込んだ話をする場面が増えたこともあるだろう。

 自分が選ぶ仕事の判断基準とは、まずは自分が楽しいと思える仕事であるかということが最も重要で、その自分の楽しさの満足度は、誰かの役に立っているか、そして自分にもプラスになっているか、またこの先もずっと仕事したいと思えるような相手であるか、というようなことや、その他諸々含めた総合判断による。

 しかし、それを直感的に感覚として受け止めて判断するので、理由を理論的に説明するのは困難な部分がある。

 自分が、この仕事はなんとしてもやるべきだと思うと、結果や信用は必ずあとからついてくるという確信があるため、無料奉仕的な業務が続いているかに見えていてもそのことが気分的に苦にはならない。

 それが巡り巡ってちゃんとプラスになるか、あるいはならないのかを事前に判断している、という、冷静な思考が存在しているからだ。

 だからリスク回避と経営判断は自分流には出来ている(と思っている)。

 実際、危険な仕事は引き受けないし、回りがやろうよと言うビジネスを強硬に反対するときだって少ないわけではない。

 それでも、あの頃と同じように私の判断が回りに理解されない場面は多々ある。

 あの頃よりは多少は説明上手になったとは言え、本来が直感的な要素が含まれての判断なので、他人に同様の感覚が無い限り理解を貰えることは結構難しい。目先のことや一時の感情論で言っているんだろう、ぐらいにしか取られていないと感じると、やや空しくなる。

 自分がもっと頭が良かったら、自分の選択の判断基準の理由を人にうまく伝えられるのかもしれないが・・・そもそも自分だけの独自の判断基準なら一般論とは思ってらえないのも当然か、悲しいけれど。

 自分の進む道は決まっているのに、歯痒さを隠せない感覚に陥る時もある。

 わかって貰うには結果を出すしかない。

 しかし結果を出してもわかってもらえる確証も無い。

 それでもいつか伝わるなら、と信じて進むしかないか。