2005年06月27日 02:25
半端社長の道
私の親は金融機関を定年まで勤め、その後も関連企業に所属し今でもその経験や人脈に関連した中でカタイ仕事をしている。親だけでなく親戚なども殆どがそれぞれにカタイ業界で定年まで働いたリーマンの鏡のような人々ばかりである。
そういう中で育った私は、自分のどこか型破りな行動や発想に、自分でも常に違和感を感じてきた。きっと親族達も、私の行動はいつも突拍子がなく継続性も無く危なっかしいと思っていることだろう。
というわけで自分はずっと異端児だと自分でも思い込んできたわけだが、いざ独立起業し多数の若手経営者と接する機会を得てみると、なんと自分は充分すぎるほどにお堅い慎重派であることを実感することになる。
世の中には、この私がビックリ仰天するぐらいに、計画も経験も無く夢と勢いだけで一気に駆け上がる人間が山ほどいた。そして、たとえ失敗してもそこから人は学び何度でもやり直せるんだということも分かって驚きだった。
夢を実現させるのに必要なものは「強い強い向上心」と「成功への強烈な欲求」なのである。経験はアトからでも充分取り返せるのだ。
そんな冒険心に富んだベンチャー経営者達との出会いは、自分に夢見ることの楽しさやビジネスの面白さそのものをたくさん学ぶ機会をくれた。自分もそう生きてみたいと願うようにもなった。
しかし私に染み付いた慎重さや無計画を嫌う潜在的な感覚を消すことは、不可能であることもだんだんわかってきた。それに、夢追い人となって生きることに実際は喜びを感じていない自分、ということにもある日気が付く。元々の自分らしい自分を変えることって案外出来ないものなのだ。
というわけでは、私はどちらにも転べない中途半端野郎であった。そう気が付いて経営者としての焦りや迷いの時期もあったけれど、ある日ふと思った。
ならば、この中途半端な向上心と成功への欲求と、中途半端な慎重さと計画好きな気質の両方をうまいこと活かせる道を歩こう。つまり、中途半端な自分にしか出来ない道を歩けば良い、これがとりあえず到達した結論。
そして私が選んだのは、慎重で着実な道と冒険に富んだ道の両方を同時進行するというワザ。それは多分私のような半端気質で両面性のある人間が得意とするやり方だと思う。
大きい器は満たせなくても、小さい器を気が付いたらいくつも満たせているような自分になりたい、きっとそれが私らしい生き方だろう。
半端でも、人生は結構楽しいのサ。
そういう中で育った私は、自分のどこか型破りな行動や発想に、自分でも常に違和感を感じてきた。きっと親族達も、私の行動はいつも突拍子がなく継続性も無く危なっかしいと思っていることだろう。
というわけで自分はずっと異端児だと自分でも思い込んできたわけだが、いざ独立起業し多数の若手経営者と接する機会を得てみると、なんと自分は充分すぎるほどにお堅い慎重派であることを実感することになる。
世の中には、この私がビックリ仰天するぐらいに、計画も経験も無く夢と勢いだけで一気に駆け上がる人間が山ほどいた。そして、たとえ失敗してもそこから人は学び何度でもやり直せるんだということも分かって驚きだった。
夢を実現させるのに必要なものは「強い強い向上心」と「成功への強烈な欲求」なのである。経験はアトからでも充分取り返せるのだ。
そんな冒険心に富んだベンチャー経営者達との出会いは、自分に夢見ることの楽しさやビジネスの面白さそのものをたくさん学ぶ機会をくれた。自分もそう生きてみたいと願うようにもなった。
しかし私に染み付いた慎重さや無計画を嫌う潜在的な感覚を消すことは、不可能であることもだんだんわかってきた。それに、夢追い人となって生きることに実際は喜びを感じていない自分、ということにもある日気が付く。元々の自分らしい自分を変えることって案外出来ないものなのだ。
というわけでは、私はどちらにも転べない中途半端野郎であった。そう気が付いて経営者としての焦りや迷いの時期もあったけれど、ある日ふと思った。
ならば、この中途半端な向上心と成功への欲求と、中途半端な慎重さと計画好きな気質の両方をうまいこと活かせる道を歩こう。つまり、中途半端な自分にしか出来ない道を歩けば良い、これがとりあえず到達した結論。
そして私が選んだのは、慎重で着実な道と冒険に富んだ道の両方を同時進行するというワザ。それは多分私のような半端気質で両面性のある人間が得意とするやり方だと思う。
大きい器は満たせなくても、小さい器を気が付いたらいくつも満たせているような自分になりたい、きっとそれが私らしい生き方だろう。
半端でも、人生は結構楽しいのサ。