2007年08月
2007年08月31日 05:11
保険ジャーナリストという肩書きで保険関連の文章を書く仕事が本業の私であるが、その他にも、保険代理店経営や、業界向けメールマガジンの編集・管理業務や、WEB制作など、色々なことをやっている。自分でも何屋さんかわからなくなるぐらいだが、それでも仕事の殆どが「保険」に関わっている、という点では一応共通している。
自分が何故に保険というテーマの元で仕事をしているのか。
それは、私が“無類の保険好き”だからである。
自分が保険について全く無知だった初心者の頃、初めて保険について学び、“保険とは皆でお金を出し合って困った人を助けるという仕組みのモノである”と教えられ、ナルホドこんなに便利で合理的なモノは無い!と非常にワクワクした時の感覚を今でも忘れていない。自分の保険に関する思考の原点はすべてそこにある。
保険という仕組みは非常に奥が深く、またこの業界には独特の風土があり、時代の流れと共に商品が様々に変化多様化し、販売チャネル動向も今激変しようとしている。という具合に常に新たな発見があり、15年この業界にいても年中ワクワクの連続である。
というように、私にとって保険という世界は、果てしなく深く、そして面白い。
と偉そうに書いてみたが、ようは単なる「保険オタク」ということである。しかしオタクにも色々あるが、保険に特化したオタク人口というのは極小なので、競争相手がいないメリットは高い。
そしてとにかく保険が好きなので、保険のことを考えたり、保険に関する原稿を書いている時というのは、私にとって最も至福の時となる。
最近トクに、これはもはやビジネスと言うよりも、殆ど興味や研究というような趣味的感覚に近づきつつあると内心感じている。あんまり趣味に走ると金銭に興味が薄れてきて、うっかりすると生活が成り立たなくなるので気をつけなければ。
先日も、原稿を書いていて勢い余って指定文字数の3倍の原稿を書いていた。書いていくうちに書きたいことがどんどん増えてそういうことになったのだが、そのあと、その原稿を削るのに1時間を要してしまい、ナニやってんだと自分でも呆れた。ホントウに気をつけよう、自分。
とはいえ、好きなことをして、そこそこゴハンが食べられるということはかなり幸せなコトでもある。楽しきことは有難きことかな。
保険業界だ〜い好きな私はこの先も、この業界で生き、この業界で骨を埋めることになるだろう。我が愛する業界の健全なる発展と進化を、どこかで支える一端となれれば、それこそ本望だと思う。
2007年08月06日 10:34
忙しいという字は、心を亡くすと書く。
というわけで、私が今猛烈に忙しいのは前の前の記事で書いた通り。
大体私は普段から忙しいクチである。その忙しさが、かなり忙しいのか、猛烈に忙しいのか、死にたいぐらい忙しいか、というような違いはあるけれど、忙しいことには変わりない。
常に忙しい理由は、独立しているから、入った仕事は何でも引き受けるという貧乏性気質のせいでもある。仕事を断ると次が無いという危機感から、無理やり仕事を詰め込んでしまうのは、起業した人ならわかる感覚だと思う。また、私の仕事は種類が多岐に渡り、系統の違う仕事を複数種類同時進行しなければならないことになっている。これも貧乏起業家故に、何でも引き受けているうちにこのようなことになってしまった。
だから、ある時は深夜に自宅で黙々と原稿を書き続けたかと思いきや、その翌日には数字を挙げるために営業に出かけてプレゼンしまくり、かと思えば事務所に引き篭もってデータ集計や事務に明け暮れ、ある時は編集とファイリング、その次には支払い作業と資金繰り計算など、その度に使う脳みそが違っているような複数種類の業務を次々に繰り返している。
また母親という立場としても、子育てや家のことや学校行事に進学問題、思春期の子どもの動向チェックなどなど、考えたり神経を使うことが多数ある。とくに子どもに関することは突発的に用事が発生する率が高く、その場で瞬間的に判断して動くことが多くなる。
こういう日常を過ごしていると、一番必要な能力は「切り替えの早さ」「瞬間的な判断力」「臨機応変」ということになる。更に、その場その場を確実にこなして後回しにしない、というような徹底さも必須である。明日に回して明日出来る保障は無いからだ。
ちなみに、この「切り替えの早さ」「瞬間的な判断力」「臨機応変」というような能力は、経験値によりアップする。その場で即座に判断をするという経験を多数繰り返すほどに、切り替えや判断力が早くなり的確な判断が出来るようにもなる。自分が偶然にも、常に多数の物事をかかえ常に予定が急変し毎日何度も頭を切り替える、という日常を過ごしたことにより、この才能が人並み以上に発達したらしい、ということに最近気が付いた。その代わり「先々の計画を立てる」という思考が激しく退化したけどね。
ということは逆も然りで、先々の計画を立てて計画通りに物事を進めている人や、同じ系統の仕事だけをしている人は、計画的に仕事を片付ける能力は身に付くが、代わりに臨機応変の素早い判断力とか、頭の切り替え、という能力が退化することになる?と思われる。(多分)
ところで、実は昔の私はかなり神経質な計画大好き人間であった。(20年前までは)その頃は、臨機応変さを求められることに抵抗があったし、無計画に生きる人を「不真面目だ」とさえ感じた。また、感性だけでその場をしのいで器用に生きる人種や、勝手気ままにしながらなんとなく人気者なタイプの人が、ぶっちゃけ好きではなかった。
そういう私にとって、無計画でいることが臨機応変さや素早い判断力を向上させるという現実は、初めは受け入れ難い現実であった。しかし日々の生活があまりに忙しく、あまりに多岐に渡り、あまりに計画がおじゃんになりまくるという日々を過ごすうちに、否応無く無計画にならざるを得なくなり、そうなってみると目から鱗が落ちる心境となった。
一番の驚きが、人生日々ジェットコースター状態となり、一歩この世界に踏み込んでみると、これが案外ワクワクとして毎日が驚きと発見の連続となり楽しい面が多い、ということであった。
また無計画で勝手気ままに生きている人ほど、案外と個性をそのままに輝かせて人生を謳歌している場合が多く、それは「他人にどう思われようとも我が道を歩く」という生き方が、そうさせているということもわかった。
そういうことって、産まれつき無意識に無計画な人には当たり前でどうでも良いことなのかもしれないが、それまで色々なことに縛られて生きてきた私にとっては、かなりの新発見だった。
ただし、無計画のリスクもある。とくに昔の自分のような計画大好き人間には、もう確実に嫌われる。この点は避けがたく、相手の気持ちを察するが故にちょっと寂しい気持ちになるときもある。
しかし、それを除けば大概のことは何とかなり、生きていく上で大いなる支障があるわけではなかった。それ以上に、臨機応変さや判断力の速さを養うという利点は予想以上に大きく、他人の目や評価に関係なく生きることも自分を自由にしてくれた。
以来、私は意識的に無計画な日常を生きることに迷いが無くなった。
ちなみに、私はサラリーマン時代には今より貯金もあったけれど、病気になった時にすべてを失ってリセットしている。我慢して耐えて貯めたお金が猛スピードで失われていくという究極の体験をして、お金は貯めるよりも生きた使い方をする方が良い、という感覚を持つようになった。
というわけで、日々忙しいわりに儲からない現実もあるが(苦笑)、でも、貧乏で忙しくても、結構毎日楽しくて幸せだったりする。生きている実感があるというか・・・これって大きなことだと思う。
結論。
「あえて無計画に生きる」ことは、人生そのものを長い目で計画的に考えると、究極の計画的な生き方なのである!(多分ネ(^^;)