2005年02月09日 02:15
正当化の裏心理
私は、思春期を過ぎたあたりから、自分はダメな人間なのでは、という劣等感を引きずって生きてきた部分があったように思う。「思う」というのは、今振り返ればそうだったという意味で、当時むしろ、自分は間違っていない、アイツの方がオカシイ、皆にもっと認められたい、というような気持ちが強かった。
つまるところ、自分を正当化することに非常にエネルギーを使っていた。
そんな遠い昔の自分を振り返ると、小さい人間だったなーと思うし、当時の自分はあんまり幸せではなかったと思う。
過去の自分がそうだったからよくわかるのだが、あえて自分を正当化したり、他人より自分が正しいと思うことにエネルギーを使う人には「自分に自信が無い」という劣等感的な心理がかくれている。
そのままの自分自身を認めちゃえる自分大好き人間であれば、あえて自分を正当化する必要など無いし、他人を批判することにエネルギーを使う必要もなく、大概のことは、自分は自分だからベツにいいや、とアッサリと割り切ることが出来てしまう。
しかし別の見方をすれば、若いうちは適度な劣等感も必要かもしれない。それがハングリーさや頑張ることへの原動力になりうると経験上知っているワタシ。
それでも、劣等感というのは時に人の心を曲げてしまう。
そうならないためには強い心が必要で、それはハードな人生を生きていない人には、持てないものなのかもしれない。
最近、正当化と自己主張の強すぎる人を見ると、なるほど自分も以前はこんなカンジだったのかな…そして自分がそうだったようにコノヒトもあんまり幸せではないんだろうな…、と、フと思う。
正当化なんてしなくてもそのままのキミでいいんだよ
・・・と言ってやりたくなるけれど、でも、言わない。
そのことに自分で気が付かないと多分ダメだろうから。
つまるところ、自分を正当化することに非常にエネルギーを使っていた。
そんな遠い昔の自分を振り返ると、小さい人間だったなーと思うし、当時の自分はあんまり幸せではなかったと思う。
過去の自分がそうだったからよくわかるのだが、あえて自分を正当化したり、他人より自分が正しいと思うことにエネルギーを使う人には「自分に自信が無い」という劣等感的な心理がかくれている。
そのままの自分自身を認めちゃえる自分大好き人間であれば、あえて自分を正当化する必要など無いし、他人を批判することにエネルギーを使う必要もなく、大概のことは、自分は自分だからベツにいいや、とアッサリと割り切ることが出来てしまう。
しかし別の見方をすれば、若いうちは適度な劣等感も必要かもしれない。それがハングリーさや頑張ることへの原動力になりうると経験上知っているワタシ。
それでも、劣等感というのは時に人の心を曲げてしまう。
そうならないためには強い心が必要で、それはハードな人生を生きていない人には、持てないものなのかもしれない。
最近、正当化と自己主張の強すぎる人を見ると、なるほど自分も以前はこんなカンジだったのかな…そして自分がそうだったようにコノヒトもあんまり幸せではないんだろうな…、と、フと思う。
正当化なんてしなくてもそのままのキミでいいんだよ
・・・と言ってやりたくなるけれど、でも、言わない。
そのことに自分で気が付かないと多分ダメだろうから。
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