無知の知とは、ソクラテスの言葉で、真の知に至る出発点は己の無知を自覚することにある、という意味の名言である。

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 この頃私の周りには、知らないことを知ったふりするタイプの人が案外多い。案外多いのでそんなもんかナ、とも思うし、私に直接害を及ぼすことが無ければ殆ど気にはならない。とは言え、ホントに近頃多いので、いつから世の中そういう風潮になったのか?ということはちょっと思う。

 「無知の知」とか「聞かぬは一生の恥」という言葉もあるように、私は、自分の無知さを隠さずに生きることの方が正しいという感覚を持って育った。むしろ、知ったかぶりしてその嘘がバレることの方が恥ずかしいと思ってきたのだ。てっきりみんなも同じだろうと思っていたら、案外違う人も多いのネ〜とカルチャーショックを受けている今日この頃。

 そんなわけでワタシったら、無知でーす、アホでーす、と公表して生きてきちゃったカモ。ウフッ♪(←?)
 (たまには反省したりもしてますけどね・・・ちょっとだけ)


 ところで、無知の基準とはどの辺にあるのだろう。何を持ってしてコイツは無知だ、あるいは無知ではない、と言えるのか。そもそも、自分が見聞きしたり経験したこと以外は、ホントは誰だって知らないはずなのだ。それに、人類の膨大な人口や、長い長い歴史を考えれば、今、自分が見聞きし経験していることが、非常に短い時代の狭い範囲の中のコトでしかない、ということは言わずもがなである。場所と時間が少しでも違えば、今の常識は非常識になり、積み重ねた経験値も無用の長物となる。

 よって”無知”と”無知ではない”の差はごく僅かなものでしかないし、今日の知識人は明日の無知にもなり得る、と私は思うワケ。

 だからね、無知をさらしても新しい感覚をそのつど受け入れる方が、時代の先読みが出来たり、柔軟な発想が身に付いたり、他人が親切に知識を分けてくれることが嬉しかったりして、案外イイコト多いよ、ということを一応お伝えしておく。
 
 お勧め致します、無知の知の発想。


 ・・・ところで・・・

 かなり無知なのにそれに全然気がついてない人がたまにいる。マイペースな自信過剰と勘違いの知ったかぶり。無知というより、コレはもう「無恥」。こういう人は自分が回りの人に顰蹙をかってもちっとも気が付かず、なんというか・・・困ったちゃん、ですナ。(^^;  いませんか?あなたの回りにも…。