保険ジャーナリスト 森田直子のBlog

板橋区の片隅でヒッソリと保険ジャーナリストしてます。(有)エヌワンエージェンシー代表取締役、インスウオッチ発行人。2010年11月に頚部脊柱管狭窄症で手術を受け足腰がやや不自由な身となりましたが、なぜか原稿書くスピードはどんどん速くなり日々原稿書きに追われております。仕事&シングルマザー生活&趣味のベランダ菜園など自由に書いてます。

弊社組織変更ならびに新役員就任のお知らせ

弊社組織変更ならびに新役員就任のお知らせ


 この度、弊社(有限会社エヌワンエージェンシー)は、総合保険代理店オフィスリング(代表 三田眞理子/埼玉県和光市)と合併し、保険代理店事業部を強化、保険募集人4名体勢にて、保険代理店としての拠点を和光市の事務所に置くこととなりました。これに伴い、三田眞理子が取締役に就任をいたします。

 なお、保険に関する執筆や編集を行う事業は、これまで通り板橋区本社を中心に業務を行います。

 今後は、保険に関する執筆事業と総合保険代理店としての事業、2本の柱を共に強化しつつ、お客様ならびに保険業界や社会に広く貢献すべく邁進したく存じます。
今後とも、変わらぬご支援の程どうぞ宜しくお願い申し上げます。


有限会社 エヌワンエージェンシー
取締役 森田 直子 (執筆事業担当)
取締役 三田 眞理子(保険代理店事業担当)


※弊社は共同代表者2名体制で運営を致します。

開業15周年

15年前の今日、当社は会社設立した。

あれからもう15年かと思うと時が過ぎるのは早い。

毎年この時期は、RINGの会オープンセミナー準備の過渡期にあり、開業記念日に気付く暇もなく過ぎたが、今年は、セミナー日程が後ろ倒しの7月になったことと、役割分担とチームワークの均整がとれたおかげで、自社の開業記念日を思い出す心の余裕があったらしい(^^;

15年前の開業当初は、自宅の居間の一角が仕事場で、開業日にしたことは玄関に小さな会社名のプレートを付けたことぐらい。 その後、友人の事務所に間借りした時期を経て、開業4年後の2004年に小さな事務所を構えた。

懐かしの、当時の自社事務所の様子↓
http://blog.n1agency.com/archives/50608248.html

それから数年間は仕事も忙しくスタッフもそれなりに増えたりしたが、頚椎の病気以降、事務所に通う負担が大きくなり、2010年に自宅事務所に戻す、という道をたどる。だからこの数年は気楽なひとり社長スタイルで、昨年の再手術やリハビリもこなしつつマイペースに仕事してきた。それでも仕事があり、15年会社を続けられたことを、とても有難いく幸せなことだと思う。

そんなわけで16年目の今日もいつのように執筆や雑務に追われて過ぎていくのであった。

そしてこの春、自分自身で「リハビリ期間卒業」を意識し出したと同時に、環境が動き出した。

間もなく当社新体制がスタートします! coming soon!

ねくすと・すてーじ

新しいことを始めるのは誰だって大変だ。それまでの2倍以上の努力をして頭も体もヘトヘトになるまで頑張る必要がある。1つのことをずっと継続するのにも努力がいるけれど、そこからステップアップして新しいことをスタートするのはもっともっと努力が要る。

私が起業したのは今から16年ほど前だけれど、それから10年間ぐらいの生活は毎日がそんな状態だった。子育てをしながらの仕事はとてもハードだったけれど、パソコンのおかげで子供たちが寝た後にPCに向かい労働時間を捻出して猛烈に働いた10年間。日々人と交渉する緊張感、新しいプロジェクトの度にチームワークを構築していく達成感、時に、足を引っ張る人には戦闘モードに切り替え戦いもした。
嵐のような日々の中で、多くの人と出会い、多くの学びを得て、忙しくも充実した日々だった。

でも5年前の頸椎の病気で状況が一変した。
仕事を減らし、スタッフにはやめてもらい、事業を縮小して事務所を引き上げ仕事場を自宅に移した。スーツとハイヒールを捨てた時、積み重ねた努力の日々を失う喪失感も経験した。

でも、何かを手放すと次の新しい何かが得られることも学んだ。
立ち止まって初めて見えることも多々あった。走り続けた時は見えなかった新しい学びと、出会い。自分自身を客観的に振り返ることもこの5年間で学ぶことになった。

そして昨年、また新しい出会いがあった。
Facebookを通じて秋田の人達と出会った。その中には、多くの苦労や努力を背負っている人等が複数名いた。それでも誰よりも明るく強い秋田の人達。
昨年は2度目の手術を終えたばかりでリハビリの日々だった時期の私に、彼・彼女達の頑張りや挑戦はとても刺激的だった。

もう一度、自分もあの日に帰りたい、でも帰れるだろうか、思うように動かない体で出来るのか?それでも本当は戻りたい、嵐のように忙しく毎日が戦いだったけれど、でも充実していたあの頃に。
私は本当は戻りたかったんだ。

そうやって心が強く願い出した時、状況は動き出すものなのかもしれない。
私のまわりで複数の事業が動き出し、その波に乗る日々が始まりだした。昔のように体力勝負はできないが、でも今の自分にしか出来ないこともある。

そういう気持ちにさせてくれた、みっしゅ、マダム、加藤先生、秋田の皆さん、そしていつも支えてくれる愛する保険業界の仲間の皆さん、本当にありがとう。

春の訪れとともに次のステージへ。皆さんと共に一歩を踏み出します。
 

人間の脳は宇宙

昨夜脳科学に関する番組をやっててガン見した。

とくに驚愕したのは、生まれつき「小脳が無い」という症状により、運動能力に重篤な障害をもつ赤ちゃん。2歳をすぎても歩けず喋れず、座っても安定出来ず、まっすぐ物を見る事も出来ない。ハイハイも手足が思う様にでなくてバラバラな動きをするためうまく出来ていなかった。かなり重度な症状と感じたが、その子が8歳になったら普通の小学生とまるで変わらない活発でハキハキとした利発な子に育っていた。訓練と家族愛の賜物である。「脳」は、不足する分があっても訓練と環境によって、違う部分を発達させてカバーできるという実証例だった。
他にも、若年性アルツハイマーの人の事例も紹介され、家族愛が病気の進行を遅らせている様子を見ていて感じた。

こういうことに関して、私自身にも多少思い当たるものがある。

5年前の頚椎疾患の際、ちょっと片足が痺れるかも?というぐらいの自覚症状から3ヶ月かからず、私は殆ど歩けないぐらい急速に症状が悪化した。手足が思う様に動かなくなり運動能力が急激に退化したわけだが、その時なぜか、体は思う様に動かないのに、目が良くなった?というか動体視力のようなものが高まる感覚があった。人の口の動きや目線の動きがスローモーションのように非常によく見え、相手が何を考えているかを察知できたりした。

何かの能力が脱落すると別の能力が突出する、というような実感。人は普段は多数の能力がバランスをとって均整しており、多分、本来の力の半分も出てない状態にあって、あえて何かだけが突出しないようにしているんだと感じた。火事場の馬鹿力は、一瞬でこのバランスを壊して一部の能力を高めることを言う。また、目が見えない人が音楽の才能が高かったりするのは、多分こういうことだろうと思えた。

そして、手術直前の頃には、呂律が回らなくなり言葉が出にくい感覚や、モノの名称や日付や、子供の名前すら出てこないという感覚を味わっている。アルツハイマー的だったなと、今振り返ると思う。

またその時、物事を考える時にAという考えとBという二つの考えがある場合、頭の中に全く異なる2人の人物がいて違うことを言っているような感覚があった。まるで二つの声が聞こえるような・・・

普通の人は、これが統合されて一つの自分の思考として感じているが、バランスを崩すとこういうことになるわけだ。神様の声が聞こえる、なんてことを言う類の話しは多分これだろう。ちなみに、二つの声現象は、術後半年ぐらいで、だんだんと一つの自分の思考に統合していった。2人がひとりになり、最後は、これは自分だと思えた。その過程を実感したので、ある意味、面白い経験だった。

また術後間もない時期に、何度も行ったことのある、ある駅まで行った時に、改札から出た街の光景が一度も見たことがない知らない街並みで、一瞬パニックになったことがあった。しかし一週間後に、突然記憶が降ってきて、あの時の初めての光景がよく見た光景に変わるという感覚を味わった。物忘れはこのようにして起こる、の逆体験である。

人は本来、一度でも見たり聞いたりしたことは脳の中の引き出しに入る。そこへの回路があれば思い出せるが、回路が切れると全く見たことも聞いたこともない事になる、これが物忘れやアルツハイマーの原理なのだと体感した。そして、切れた回路は復活しうるということも、身を以て体験したのだ。

頚椎疾患以降、復活しなかった症状もいくつかある。例えばパソコンの字の打ち間違えを頻発するようになったが、これは治らない。指先の動きが、頭で思うことと一瞬ズレるような感じが残ったままである。でも、PC打ち間違いは、文章を2-3度確認する癖をつければ、殆ど問題ない。そもそも原稿書いたら文章読みなおすの普通なので、全く問題はない。

字が書きにくい症状も改善せず進行して字が汚い人になってしまった。
パソコン仕事なので字が汚いのは益々なおらず、訓練もしてないからヤバイわな(^^;

また記憶力や思考力は一度著しく落ちたわけだが、仕事を遂行することが訓練になって回復してきていると感じるものがある。ま、全部とは言えないが。
時々、話の途中で自分が何を言おうとしたか忘れることが、実は結構あるんだけど、ほんとごめんなさいね=ほほほほ(^^;

ただ、火事場の馬鹿力を出すコツをとらえたのか?一気に集中力を高めることはむしろ発達した感がある。ある部分では頭が良くなった?のかもしれないわ。そういうことにしておこうっと。

てなぐあいに、衰えた能力を、違う能力がカバーする仕組みが脳にはあるわけで、番組もそれを伝えていたが、わたしも実体験でそう感じてきた。

だから、まるで出来ないような事があっても、訓練でなんとかなることは非常に多いのだ。人の脳の力は本当に未知数だと思う。

それから、番組では「プロフェッショナルの脳は、余計な動きをせず最短で最適な方法を判断する」ということも紹介していた。新人アナウンサーは実況中継をする際に脳が活発に活動するが、ベテランは考えなくても言葉が出ているとの検査結果。またネイマールは、サッカーで俊敏な動きをしている時、脳はあまり働かず、一部の直感的な判断だけで脳が最適な判断をしているそうな。

それがプロの脳だとの話もあった。なるほど。

私も保険の解説文を書くとき、直感的に書いている感覚がちょっとあって、経験を積めば積むほどそうなってきているような気がする。事前に考えなくても、書く時に瞬時に考えて書いてしまうことは多い。ふむふむ。

だから、締め切りギリギリになって書いてもなんとかなるわ〜と、なるわけで、最後は締切破りの言い訳でした(^^; おしまい。

本日、休息日ナリ

このブログが常々放置プレイになるのは、執筆業が忙しいからである(毎度の言い訳です、すいません)。そしてこれを書いているのは、めずらしく執筆が一段落しているから。といっても、明日からまた忙しいが、とりあえず久々の仕事ブログ更新。

今、私の仕事は、連載原稿毎月6本のほかに、中編・長編などの執筆や編集依頼が随時入る状態。数年前までは、執筆業だけでご飯が食べられればどんなにいいか…と、あわい夢を描いていたのだが、気が付けば今や、私の本業は名実ともに「執筆家」となった。これって「私は夢を叶えた」ということなだろう。幸せな人生だと思う。

しかし夢が現実となると、それは夢ではなくてただの日常となる。日常となってよくわかったのは、執筆業とは、案外地味な仕事だということ。
駆け回って営業していた時の方が、今より収入が上でしたよ(^^;

ま、現実とはそんなもんなのだ。

でも書くことが好きな私にとっては、執筆業で、細々とでもご飯が食べられるならそれでハッピー。

そんなわけで、夢を描いた数年前よりも、事業は縮小と相成ったけれど、心は満たされているので多分これが私の成功形なのであろう。

そして、過去の自分を客観的に思い出すと、ちょっと笑えるものがある。
昔のあたしは、どうしてあんなに毎日猛烈な激務を何とも思わずやっていたのか。常に全力疾走で余裕なく必死に生きていた昔の自分を(いやー若かった、若干恥ずかしい)と感じる今日この頃。

でも、その過去は一種の修行時期で、その結果として、今のように好きな執筆仕事に存分に集中できているってことかもしれない。それに、過去の努力の継続があって今がある、ということもあるだろう。何しろ、お仕事を依頼して下さる人がいなければ仕事は成り立たない。

今のように、やりたい仕事を自由にできる自分になった経緯は、5年前の頚椎疾患の経験が大きい。あれ以来、私はやや体が不自由な人となって、それまで当たり前に出来ていたことが出来ないという立場になった。そのおかげ?なのか、自分が本当にやりたいことは何か、ということが大変よく見えるようになった次第。

すると、多くを望まず、本当に欲しいものや、やりたいことだけを望むようになる。だから今を満足できるのだろう。

もしも自分が望むことが、世界中を旅したり、あるいはアスリートとしての成功だったり、または大好きな趣味が登山やゴルフやアウトドア系だったとしたら、私の人生は夢破れたり、ということになるところだった。
しかし、執筆業しつつボチボチとベランダ菜園したり、DVD見たり、プチ料理したりするのが楽しいと思える、そんな自分で、まー本当によかったね。そんなインドア派のあたし。

さて、録画した映画でもみよっかな。
来週からまた原稿の締め切りや打合せに追われる日が始まるが、今日はつかの間の休息日。

☆著書のご案内☆
タグクラウド
アクセス解析
アクセス解析
アクセス


アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
Recent Comments